4.「当たり前の会社」にしていきたい(千葉 裕樹)―今後の事業展開は何か、新しいことや、こんなことしたいというのはありますか?千葉(裕):常に、思っているのは、「当たり前の会社になりたいな」ということです。当たり前っていうのが結構難しくって。それはどういうことかというと、休みがちゃんと取れて、お金もちゃんと貰えて。仕事も、ちゃんと当たり前の仕事が出来て、という。なかなか伝えるのが難しいんですが。会社員時代は、土日休みが当たり前だったのが、今の仕事だと全然休みも取れなくて。商売上、魚種にもよるんですけど、当社は、生きたアナゴとタコも販売しているので、お客さんが月曜日に魚が必要な場合は、日曜日に出荷しなくてはいけない。でも、日曜日に仕事をすることで、それによって利益が格段に上がるのかと...2021.03.27 00:50インタビュー東北プロボノプロジェクト千葉喜商店
3.経営未来塾とさんりくみらいへの参加(千葉 裕樹)―千葉さんが気仙沼に戻られて、経営未来塾に参加されたと思うのですが、参加しようと思ったきっかけはどんなものだったんでしょうか?千葉(裕):きっかけは、魚屋さんの知り合いの方から、「ぜひ参加した方がいいよ」と言われたことです。その時は、会社の運営も順調に進んでいたわけでは無く、結構大変な状態でした。だから、何か、新しい知識を得る必要性や、いずれ、継ぐという覚悟を持つため、自分と向き合う必要を感じて、参加したと思います。2、3年くらい前ですね。毎週1回半日の頻度で勉強会がありました。最後は発表するんですけど、夜中の2時とか3時までレポートなど書いたり、スピーチの内容を精査したり、結構厳しかったですね。最後の発表では、仕事に対する思いや経...2021.03.20 06:56千葉喜商店東北プロボノプロジェクトインタビューさんりくみらいの歴史経営未来塾
2.震災での変化と、後を継ぐ決心(千葉 裕樹)―千葉喜商店の震災前と震災後の変化をお教えいただけますか?千葉(裕):私は、震災前は、家業の修行名目なのですが、東京で会社員をしていました。震災発生時は気仙沼に居ませんでしたので状況が細かく分からなくて。震災の1年後に家業に戻りました。会社の状況は全壊で、1年ぐらい経って工場が出来ました。そのタイミングくらいで帰りました。―千葉さんが跡を継ごうと思ったきっかけを教えていただけますか?千葉(裕):実は、小さい頃から「魚屋さんにはなりたくない」って思っていました。魚屋さんって、朝が早い、魚の臭いとか、きつい肉体作業とか、荒々しいといイメージであまり好きではないな、というのは、小さい頃から思っていて。継いだ理由は、まだ自分は社長ではないで...2021.03.13 03:08千葉喜商店
1.千葉喜商店の仕事(千葉 裕樹)―これから、千葉喜商店の千葉 裕樹さんに、色々なお話を伺おうと思います。では、早速ですが、千葉喜商店では、どのような事業をされているのですか?千葉(裕):当社は大きく2つの事業があって、1つは、カツオの生出荷、もう1つが、お刺身用のエビの加工です。震災前は、カツオの生出荷がメインで、エビの加工はサブの仕事だったのですが、震災後はエビの加工がメインになってきています。恐らく、気仙沼の仲買人や魚屋さんは、気仙沼で水揚げの多いカツオか、サンマ、サメ、の3つのどれかをメインに仕事をしている人が多いと思うんですが、今から30年前のバブルの時代は、聞いた話だと、気仙沼市場は足場がない程、魚の水揚げが多かったらしいんです。その頃は、その水揚げ量の...2021.03.06 10:18千葉喜商店インタビュー気仙沼カツオ東北プロボノプロジェクト