3.経営未来塾とさんりくみらいへの参加(佐々木 和元)―経営未来塾に参加されたのは、いつのことでしたか?佐々木:経営未来塾に参加したのは、2015年8月のことですね。会社を起業して2か月くらいで経営未来塾に申し込んで、3か月目で、塾に参加しながら会社を経営していました。経営未来塾を知ったきっかけは、仮設商店街で勤めていた時に知り合った方だったんです。会社を起業した後、色々な方々にご挨拶をしていった中で、その方に、「経営未来塾の第4期がこれから始まるから、お前も大変かもしれないけど、絶対に身になるところだから、参加してごらん」、と教えていただき、経営未来塾に参加しました。経営未来塾では、周りの皆さんは、気仙沼でも有名で大きな会社の跡取りさんなどが多くて、錚々たるメンバーの中に、「この人誰...2021.04.23 23:26オフィスリアン気仙沼東北プロボノプロジェクトさんりくみらいの歴史経営未来塾
2.経営を学ぶことになったきっかけ(佐々木 和元)佐々木:仮設商店街の仕事に一区切りついたところで、また、違う仕事を探そうかな、と思っていた時に、私の祖母が亡くなりました。祖母が亡くなったタイミングで、仮設商店街の仕事からも退職しました。色々と考えたかったこともあり、一度、少し休もうかなと思ったんです。そうこうしているうちに、私が若い頃からずっとパソコンが好きでいじっていたのを知っている地元の友達が、「気仙沼コールセンター」という仕事の話を紹介してくれました。震災直後、被災地に、どんどんとコールセンターを作っていって、最終的に潰れてしまった会社があったんです。「気仙沼コールセンター」も、そのコールセンターの一つでした。震災後の、被災地雇用と、人材育成を兼ねた、国の補助金があって、被...2021.04.17 07:04オフィスリアン気仙沼東北プロボノプロジェクトインタビュー
1.震災の後(佐々木 和元)―佐々木さんは、震災前は、どんな仕事をされていたのですか?佐々木:震災の3年前までは、私は仙台に住んでいまして、2008年4月に、気仙沼に帰ってきました。帰ってきて、最初は、気仙沼市の嘱託職員として、学校の用務員をしていたんです。嘱託職員の契約満了が、ちょうど、2011年の3月31日の予定だったので、その後、4月から、別の仕事として、気仙沼市の体育協会の職員として、採用が決まっていました。ずっとバレーボールが好きでやっていたので、その関係で、運動に携わるような仕事がしたいな、という気持ちがあったんです。震災が起きた時は、その採用が決まって、配属されるのを待つばかりという状況でした。2008年に気仙沼に帰ってきて、嘱託職員として最初に...2021.04.10 02:39オフィスリアン気仙沼東北プロボノプロジェクトインタビュー