―遠洋漁業のお父様がいて、お仏壇に手を合わせるなどのルーティーンはあったのですか?
佐々木:うちの父は、学校を卒業してすぐ海に出たので、そういうしきたりが分からないんです。お正月に神棚を飾るなども。だから、父はあまりうるさくはないほうだと思いますね。
―船に乗っている一年間は、連絡はとれないんですか?
佐々木:小さい頃は、ほとんどありませんでした。誕生日に電報が来るくらいでしたね。
―同じように、お父さんが遠洋漁業の船に乗られていて、家にお父さんが普段いらっしゃらないようなお子さんは、同級生には多かったのですか?
佐々木:私の小中学校は、半分くらいはそういう家庭でしたね。
私の住んでいた、唐桑という地域が、特に、漁船の乗組員の方が多かったんです。
―この前に読んだ記事に、「唐桑には霊が出ない」という話が載っていたんです。
震災以降、他の沿岸地域では、震災で亡くなった方の霊が出る、という話が多かったけれども、唐桑ではそのような話がない。
それはどうしてかというと、漁業で、海難事故で亡くなる漁師さんがいらっしゃった場合、ある一定期間、海から戻ってこなかったら、漁業長さんが「亡くなりました」という宣告をする。そうして、残された家族や周りの人達は、その人が海で亡くなったことを受け入れる文化があるからなんだと。
だから、唐桑では、霊が出ない、というようなことが記載されていたと思います。
佐々木:私も同じような記事を読んだことがあります。
震災で被災した各地域に行くと、例えば、タクシーの運転士さんが霊を見た、という事例がある。でも、唐桑だけは、なぜか霊が出ない。それはやはり、昔から漁業に携わる人が多くて、他の方々より、唐桑の人たちは、海で死ぬということを潜在的に受け入れているのではないか、と、個人的に受け止めました。
唐桑のお墓には、海難慰霊者の碑というのがあるんです。墓地の一角に大きな石碑がありまして。小さいころから、お墓参りに行くと、皆、海難慰霊者の碑の両方に手を合わせていました。
―そういった意味でも、唐桑に住む方々には、「海とともに生きている」という気持ちがあるのかもしれないですね。
佐々木:実は、うちの叔父も、震災の前に、遠洋漁業の事故で亡くなっています。
叔父は、唐桑の大沢地区という、陸前高田に近いところに家を建てていました。家を建てて、2回目くらいの航海で、亡くなったと思います。その地区で、震災の時に、家が流されずに残ったのは、4軒か5軒くらいでした。
叔父の家は、畑の中の、少し高くなった土手の上に建ててあったんですが、その土手のところで、津波が止まったそうなんです。叔母は、小高い山に避難して、そこから津波が来るのを見ていて、「ああ、うちの家も流されるな」と思ったそうなんですが、その土手で、津波がピタッと止まって、帰っていったそうなんです。それを見て、叔母は、叔父が波を止めてくれたんだ、と感じたそうです。
―叔父様の魂が、家を守ってくれたのかもしれないですね。
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