2.経営を学ぶことになったきっかけ(佐々木 和元)

佐々木:仮設商店街の仕事に一区切りついたところで、また、違う仕事を探そうかな、と思っていた時に、私の祖母が亡くなりました。祖母が亡くなったタイミングで、仮設商店街の仕事からも退職しました。色々と考えたかったこともあり、一度、少し休もうかなと思ったんです。


そうこうしているうちに、私が若い頃からずっとパソコンが好きでいじっていたのを知っている地元の友達が、「気仙沼コールセンター」という仕事の話を紹介してくれました。
震災直後、被災地に、どんどんとコールセンターを作っていって、最終的に潰れてしまった会社があったんです。「気仙沼コールセンター」も、そのコールセンターの一つでした。

震災後の、被災地雇用と、人材育成を兼ねた、国の補助金があって、被災されて仕事を失った方々を雇用すると、その会社には、国から補助金が支払われる、という仕組みでした。それで、その会社に、「システム担当として来てほしい」と声をかけてもらったんです。


―その会社は、今は無くなってしまったということですね。


佐々木:はい、そうです。
あまり、利益重視でないまま回っていた会社だったからだと思います。

補助金で運営されていて、従業員の給与は補助金から支払われている形だったんですが、国から出る補助金は、一人当たり1年間分だけだったので、1年過ぎてしまうと、持続ができない。それなのに、コールセンターをあちこちに作ったので、回らなくなってしまったんですね。本当は、会社として、自ら稼がなければいけなかったのですが。


―経営方針に少し無理があった感じですね。


佐々木:そうですね。

それで、その会社の中でも、気仙沼のグループは最後のほうまで残っていたのですが、その気仙沼のグループ会社ももう終わりだね、という頃、自分はそのグループの中でも最後のほうまで残っていました。

その頃は本当に、地獄のような日々だったというか、ただのシステム担当だったはずなのですが、お金の工面をするとか、そういうことをしていましたね。


―その頃のお仕事は、大変だったんですね。


佐々木:そうですね、大変と言えば大変だったんですが、その仕事を通して、「会社の運営ってこういう風にやるんだな」、というノウハウを、現場で学んでしまった感じでした。

本当に、最初はただのシステム担当で入ったはずだったんですけど、最終的にはコールセンターとしての電話かけの仕事自体も、自分で受けたり、従業員に指示を出したりしていました。

気仙沼のコールセンターには、社長のほかにセンター長という役職があるんですが、私は入って1年で、副センター長まで、ポジションが上がってしまったんです。給料は1年目のままなので、周りよりも給料は低いのに、仕事は多い、といった状態でした。

そんな中で、「会社経営とは何なのか」というのを、社長やセンター長のすぐそばで見て、こういうことなんだな、と学びながら、仕事をしていました。


コールセンターの会社が潰れた後、どうしようかなと考えていたときに、「気仙沼って、システム系の会社がそんなに多くないな」ということに思い至ったんです。

気仙沼は良い街だと思うんですが、その良さをPRできる技術を持つ人が少ないな、と。

色々な経営者の方に話を聞くと、皆さんやはり、会社のホームページを作るとなると、気仙沼市内ではなく、仙台までわざわざ出向いていって、仙台の制作会社に発注している。

「じゃあ、そこを気仙沼でやってみても面白いんじゃないかな」と、思ったんです。


それで、コールセンターを一緒にクビになった子たちがいるので、何人かに声をかけて、「俺が頭としてやるから、一緒にやろう」、という話をして、今のオフィスリアンというシステム会社を立ち上げたんです。それが、2015年5月のことでした。

さんりくみらいの想い

私たち株式会社さんりくみらいは三陸・気仙沼で生きる作り手と全国の食卓を笑顔で結ぶために、想いを共にする仲間たちと会社を設立しました。ECサイト 極上市場「三陸未来」の運営を中心に、リアルな販路開拓やプロモーションの実施。さらにパートナーとなる作り手(生産者、加工業者)を募り商品開発、技術開発を共に行い切磋琢磨できる環境を作ります。