―千葉さんが起業されたのは、震災前からですか?
そうです。震災前からです。2010年位からですね。工場、自宅は全部流されました。
ほんとに海の目の前で、片側一車線の道路を挟んですぐ海というような感じでした。
―ご家族も皆さんご無事で。
はい。たまたま、なんとも無かったです。
―工場を再建するのにどれくらいかかった感じですか?
工場再建に2年位かかりました。震災の1ヶ月後くらいには、たまたま知り合いの工場が空いていたので、そこで仕事を再開しました。
―今はそこではなくて、違うところに移動されたのですか?
そうです。工場を移設しました。みんな加工団地というところに移ったのですが、そこを待っていられなかったので、山の方に作りました。
―でも、その方が安心ですね。今でも、1年に1回とか、たまに強い地震があるじゃないですか?忘れた頃に「えっ。」って思う地震がありますよね。
だから、従業員は安心みたいです。
―コロナの状況になって、ホテルなどへのお仕事の状況は変わってきましたか?
Go To トラベル が無くなって10分の1位に落ち込みました。 始まった時はすごく良かったんですけど。
―もう少し、辛抱ですね。
宮城は今、牛タンだけじゃなくて、穴子も押していこうというムードが少しずつ出ているので、落ち着いたら、いろんな人に来てもらって、食べてもらえたらと思います。
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