5.遠洋漁船に乗っていた父について(佐々木 和元)

―佐々木さんのご家庭は、漁業はなされていたんですか?


佐々木:父親が遠洋マグロ漁船の漁師なんです。

父親は5人兄弟で、4人が男、1人が女なのですが、男4人は皆船乗りになりました。

私の祖父は、藤田さんと同じように、ワカメの養殖業もやっていました。あと、うちの地域でも、ウニ、アワビの開口(かいこう)という、採れる日があって、その日は、私も朝収穫を手伝ってから、自分の仕事に行っています。


ただ、子供の私は、「漁業には携わるな」、と小さいころから言われていました。父も祖父も、やらせたくなかったんだと思います。幼いころは、「公務員になれ」と言われて、そのために、「勉強しなさい」としか言われた記憶がなく。でも、「勉強しろ」と言われるのが嫌だったので、中学校卒業と同時に、仙台に出てしまいました。


―では、高校から仙台だったんですね。寮生活をされていたんですか?


佐々木:たまたま、母方の叔父が、仙台の高校のそばに住んでいまして、「そういうことなら、うちに住みなさい」と言ってくれて。結局、「勉強しろ」のと言われ続けることになったのですが(笑)


―お父さんが、「漁業に携わるな」と言っていたのは、なぜだと思いますか?


佐々木:遠洋乗組員って、1年に1回しか家に帰ってこないんです。で、中学校くらいの時に言われたのですが、私は、小さいころに、1年ぶりに帰ってきた父親の顔を見て、知らない人だと思って、泣いたらしいんです。そういうのも理由だったんじゃないかな。

あとやっぱり、遠洋漁業って、過酷な環境のようで、船が、縦になるか横になるかわからないような波の中を走ったりするんですよね。

だから、自分の生活の生業にはするなと。


―命がけの仕事ですよね。


佐々木:はい。やはり、そういうことがあるからだと思いますね。


―お父さんは、もう漁業からは引退されたのですか?


佐々木:はい。父は、悠々自適に、家で、横になりながらコーヒーを飲んでいます。


―遠洋漁業は、おいくつくらいまで、船に乗るものなのですか?


佐々木:65歳くらいまでですね。


―定年制とういうのではなく、自分で「終わりにしよう」と思ったら、終わり、というものなのでしょうか。


佐々木:船会社さん次第だと思います。
父親は、晩年は、外国籍のマグロ漁船のトップとして、外国の会社に勤めていました。
日本のマグロの価格が上がった後、海外でも、マグロが高く売れるようになったので、海外で、お金のある企業が、日本の古くなった漁船を買い取って、直して、乗るんです。

でも、ノウハウがないので、日本人の経験ある人を連れていくんです。
それで、外国籍の船に乗っていた、という感じですね。


―船会社が、漁師を雇うという、雇用形態なんですね。


佐々木:そうですね。マグロ漁は、そういった形態が多いですね。
養殖業や、近海で漁をする分には、家族経営が多いと思います。


<続く>

さんりくみらいの想い

私たち株式会社さんりくみらいは三陸・気仙沼で生きる作り手と全国の食卓を笑顔で結ぶために、想いを共にする仲間たちと会社を設立しました。ECサイト 極上市場「三陸未来」の運営を中心に、リアルな販路開拓やプロモーションの実施。さらにパートナーとなる作り手(生産者、加工業者)を募り商品開発、技術開発を共に行い切磋琢磨できる環境を作ります。